立花家十七代が語る立花宗茂と柳川
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三柱神社の火災と再建について

火災写真2005年6月3日、心無い者の放火により、藩祖道雪公、立花宗茂公、誾千代姫を祭る神社の拝殿、廻廊が全焼、楼門も一部焼けるなど歴史的価値のある建物が大きな被害を受けました。幸い本殿は焼失を免れましたが、元の姿に復現するには、大変な時間と費用がかかります。

柳川・山門・三池教育会編纂による旧柳川藩史によりますと、天明3年(1783年)に道雪公が梅岳霊神の神号を授けられ、長久寺境内に祭られ、文政3年(1820年)に宗茂公、闇千代姫がそれぞれ、松陰霊神、瑞玉霊神の神号が授けられると、日吉神社の近くに仮宮を設けそこに祭られました。この3霊神をご一緒にお祭りする現三柱神社は、文政8年(1825年)に地鎮祭を行い、翌年1826年2月11日に新殿が落成しています。

前述の資料によりますと、“この工事を始むるに、まず大工棟梁を厳島、日光等に派遣し、社殿の規模を視察せしめ、之が構造を参案して楼門、廻廊等をつくらしむ”とあります。

また工事中は、“遠近を問わず、老若男女鼓笛太鼓の三弦の音曲を用ひ、争い来たりて之を助く。為に日々殷賑を極めたり”と藩をあげての建設工事だったことがよくわかります。

このようにして、建てられた神社は本社拝殿、廻廊等の屋根は全て赤銅で葺き、楼門のは特に精巧な作りになっていました。

これから、復興のためのマスタープラン作り、募金活動に入っていきますが、私も全面的に応援をしてまいります。幸い、関係者の御協力により、焼け跡での部材の実測が行われ、建物の姿は図面として作製出来るようですので、私としては、この歴史的建造物を時間が5年6年かかろうが是非元の優雅な姿に復元して欲しいと願っています。

2005年10月 立花家17代 立花宗鑑



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