立花家十七代が語る立花宗茂と柳川
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大徳寺の塔頭のひとつである大慈院にお参りしてまいりました。

戸田ご住職と当サイトに掲載するため大徳寺の塔頭のひとつである大慈院にお参りしてまいりました。

大慈院には、立花宗茂公のお墓、位牌とともに京都市の重要文化財にも指定されている立花宗茂公の肖像画があります。

私が大阪に駐在していた6年ばかり前に一度お参りさせていただきましたが、今回も戸田住職様がわざわざ、肖像画を御位牌の前に掛けて頂き宗茂公と対面することも出来ました。

もともと、宗茂公が建立したのは、大徳寺山内の碧玉庵でしたが、明治になって同庵が廃寺になったため、肖像画も位牌、お墓とともに大慈院にすべて引き継がれています。大慈院は大友宗麟の姉である見性院等が建立したお寺であり、その手前には大友宗麟が建立した瑞峯院があるのも、大友家との関係を考えると何かの縁でしょう。

宗茂肖像画さてこの肖像画ですが、立花家にも同様のものが所蔵されています。京都国立博物館の図録「大徳寺の名宝」によると、大慈院所蔵のものは、土佐光起(1617-1691)の筆によるもので、賛文は大慈院二世藍渓宗英の撰で、筆はその法孫の大仲宗潙によるものです。そして表褙には、千当祠堂に掛かっていた御影が「敗絹漫滅」の状態でありそれを見た鑑虎公が嘆き家臣に命じて模写させたとあります。

一方立花家のものは、筆者は不明ですが、上部に書かれた賛文は藍渓宗英の同じものであり、承応3年(1654年)11月25日の宗茂公13回忌の命日に奉懸されたものと書されています。そうすると、立花家のものは「敗絹漫滅」状態にあったものが、新たなものが作成された後も廃棄されずに残っていたのではないかと思われます。確かに傷みはかなりありますが、ぼろぼろという程のものではありません。この二つの画を、並べてみました。大慈院のものは、土佐派のプロにより宗茂公がより男前に描かれているようです。

また郷土史家の岡茂正氏によると、宗茂没後満3年にあたる正保2年(1645年)に製作された絵は同じで、賛文の異なる御影が戦前まで、柳川で個人所有されており、さらにもう一点寛永20年(1643年)一周忌のために御影が制作されたとの記録もあるとのことです。 残念ながらこの2点の行方はわかりません。

2005年11月 立花家17代 立花宗鑑


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