現在の台東区に柳川藩の江戸屋敷がありました
江戸時代、幕藩体制が整えられると、藩主の正室が江戸に居住するだけでなく、各藩の家臣たちも江戸詰と称して妻子を国元に残し江戸に単身赴任するようになります。柳川藩も他の藩と同様に江戸に上中下の広大な屋敷地を与えられていました。柳川藩の江戸屋敷は、上屋敷が下谷徒町、中屋敷が浅草鳥越、下屋敷が浅草末にあり、いずれも現在の東京都台東区にあたります。
江戸大名屋敷は通常、町人が立ち入ることはできませんでしたが、中には屋敷内の鎮守を公開し参詣を許可している所もありました。立花家の下屋敷に祀られていた「太郎稲荷」もそのひとつです。この太郎稲荷は疱瘡を治す神として人々の信仰を集めていました。
太郎稲荷への参詣は江戸時代に数度大流行したようで、立花家文書の中にもその繁盛ぶりを伝える書状が残されています。それによると、太郎稲荷への賽銭は月に百両にものぼり、あまりの人手に喧嘩口論まで起こる有様であったということです。そのような中、柳川藩では「太郎稲荷参詣」の鑑札を発行し、藩邸に入る人を管理するとともに、鑑札代を徴収し、収入の増加を目論んでいたようです。
現在、柳川藩の江戸屋敷跡はビルが建ち並び、往時を偲ぶよすがはありませんが、太郎稲荷社は場所を移しながらも、今なお地域の人々の信仰の対象となっています
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