立花家十七代が語る立花宗茂と柳川
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福厳寺
福岡県柳川市奥州町32-1
福厳寺

旧柳川藩主立花家の菩提寺

福厳寺梅岳山福厳寺は臨済宗黄檗派の寺院で、旧柳川藩主立花家の菩提寺です。その前身は筑前立花山の麓にあった曹洞宗立花山梅岳寺で、天正15(1587)年、立花宗茂が筑後の山門・下妻・三潴の三郡を与えられ柳川に城を構えた際、立花家の香華所として柳川に移されました。もとは曹洞宗の寺院でしたが、立花家4代鑑虎の時、臨済宗黄檗派に転じ寺名を梅岳山福厳寺と改めました。寛文9(1669)年のことです。開山には、郷土出身の高僧で、当時宇治の黄檗山万福寺に居り、木庵禅師の法弟であった鉄文が迎えられました。梅岳寺が黄檗宗の寺院として改められた背景には、前藩主立花忠茂の黄檗宗に対する深い帰依があったと推測されます。また、これ以後、鉄文やその弟子を開山とし領内のいたる所で黄檗宗寺院が開かれ、福厳寺はその中心としてさかえていくことになります。

立花家歴代肖像
福厳寺に伝わる寺宝のうち、立花家に関わりの深いものとして注目すべきは、立花家歴代の肖像です。この肖像画は初代立花道雪よりはじまり、2代立花宗茂、3代忠茂、4代鑑虎、5代鑑任、7代貞則、8代鑑通、9代鑑寿、鑑門、鑑一、10代鑑賢、11代鑑備の12人で、6代貞俶と12代以降の画像を欠きますが、8代鑑寿の兄弟である鑑門、鑑一の2人が加えられています。いずれも、上畳に座し、頭に冠を戴き、袍に身を包んで手に笏を構え、飾り太刀を帯びるといった、大和絵肖像画の武家像の形式をそのままに踏襲しています。ただ、初代の立花道雪のみは軍扇を執り、2代宗茂、4代鑑虎は袍の上から袈裟をつけている点に相違があります。
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