戸次道雪とその母養孝院の墓が祀られています
立花山麓にある曹洞宗の古刹で、立花城の城主戸次道雪とその母養孝院の墓所があります。元中2(1385)年、室町幕府3代将軍足利義満の時代に花谷山神宮寺として創立されましたが、天正3(1575)年に道雪の母、法名養光院がこの寺に埋葬され、養孝院と改められます。つづいて、天正13(1585)年に道雪が筑後北野の陣で病死すると、高橋紹運らはその遺骸を守って立花山に帰り、母の墓所がある養孝院に葬りました。法名は「福厳寺殿梅岳道雪大居士」といいます。この法名にちなんで寺号は立花山梅岳寺と改められました。
この梅岳寺は宗茂が柳川の地に移る際に立花家の香華所としてともに移され、のちの福厳寺となりますが、道雪とその母の墓はそのまま立花城下に残されました。その後、衰微していましたが、立花家4代鑑虎の妹が福岡藩主黒田綱政の室となったため、元禄10(1697)年に卍山を招いて中興の開山としました。 |