戸次道雪、誾千代、立花宗茂の三体の神が祀られています
三柱神社の名称は、祭神として戸次道雪、立花宗茂、道雪の娘にして宗茂の妻の誾千代の三体の神が祀られていることからきています。しかしながら、最初からこの三体の祭神が一所に祀られていたわけではありません。三柱神社に祀られる以前、道雪は天明3(1783)年に梅岳霊神の神号を贈られ、三の丸長久寺の中の梅岳宮に、宗茂と誾千代は日吉神社の近くにあった唯一宮にそれぞれ祀られていました。文政3(1820)年、宗茂に松陰霊神、誾千代に瑞玉霊神の神号が贈神され、さらに同6(1823)年、松陰霊神と瑞玉霊神が梅岳宮に遷宮合祀され三柱神社となりました。しかし、それまであった梅岳宮に合祀するのでは一藩の宗廟としては規模が小さいということで、文政9(1826)年に高畑の地に新宮が造営されました。同年8月16日新たにできた三柱神社への遷宮が執り行われますが、このとき、藩主は装束にて参詣し、武士や足軽や扶持人・町人達は神幸の行列を見物することが許されました。
三柱神社は、平成17年6月3日火災により拝殿、廻廊が全焼、楼門も一部焼けるなどの被害がでましたが、幸いにして本殿は延焼を免れました。
三柱神社の焼失について |