室町後期以降、アジア各地のみではなく、広くヨーロッパとの交易が行われるようになると、甲冑の形式にも南蛮文化の影響が見られるようになります。この桃形兜は南蛮兜の影響を受けて作られた兜で、桃形という名称は兜の鉢が桃の実の形を象っていることからきています。
立花家には同様の桃形兜が200頭以上伝わっており、戦場で一隊の全員にそろって着用させたものと思われます。また、これらの兜は桃山時代に製作されたものから、江戸時代初期の製作のものまで、複数の手に分かれますが、この中のいくつかは文禄の役、慶長の役の際に使用されたと伝えられています。
桃形兜は戦国期に多く用いられた形式の兜ですが、これほど大量に伝わっている例は他に見られず、貴重な作例といえるでしょう。 |