鎌倉時代以降、中国から喫茶の風習が伝わるとともに多くの茶陶が日本へと渡ってきました。その中でも特に茶壺は桃山時代の茶人の間でもてはやされたのみならず、武家の間では恩賞として与えられることもあったことから、自らの格式を示すステータスシンボルとして大切に扱われました。また、日本でも瀬戸などで唐物茶壺の写しが盛んに作られ、瀬戸茶壺とよばれました。
立花家に伝来する瀬戸茶壺は寛永16(1639)年7月18日、立花家江戸屋敷での茶会の折、徳川家光が宗茂に賜ったものであると記録に残されています。肩を張った細長い形姿ですが、胴の部分にあらわれた力強い景色は見事で、堂々たる風格をみせています。 |