立花家十七代が語る立花宗茂と柳川
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大友家文書
大友家文書 二百九十通
国重要文化財(平成五年六月十日指定)
株式会社御花所有(柳川古文書館保管)

附 文書袋  五口
  矢根木  三箇

大友家文書は、鎌倉時代以来豊後守護職等を世襲し、守護大名さらには戦国大名へと発展した大友惣領家に伝来した文書です。初代大友能直は、母方大友氏の関係から藤原親能の猶子となり、大友氏の本領相模国大友郷地頭職や、親能の遺領を相続します。以後、詫磨氏等多数の庶家が出て、一族は九州一円に広がります。一方大友惣領家は、文永・弘安の役頃豊後を拠点とするようになったようです。南北朝には、大友氏は足利方に属し、次第に国内の有力国人層を被官化して領域支配を進めていき、戦国期、義鎮(宗麟)は九州探題をはじめ六カ国守護職と日向・伊予半国を支配するなど勢力を拡大しました。しかし、その子義統が耳川の合戦で島津氏に敗れると、急速に衰退していき、結局文禄二年(一五九三)、豊臣秀吉により除封されてしまいます。その子義孝は大友氏を再興、江戸幕府に仕えて高家となりますが、本文書は、庶流である筑後柳川藩主立花家の所蔵として現在に伝わっています。その経緯については詳らかでなく、義統改易の際、姻戚関係を通じて立花宗茂に預けられたとする説と、高家大友惣領家の困窮による流質の両説があります。鎌倉時代の守護から守護大名、そして戦国大名へと発展した家の歴史がわかる貴重なものですが、特に室町期の守護家文書として全国的にみても出色のものと評価されています。

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