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立花家文書
国重要文化財(平成十六年六月八日指定) |
立花家(株式会社御花)と福岡県立伝習館高校で保存されてきた、旧柳河藩主立花家に関わる約3万7千点にも及ぶ文書群(柳川古文書館寄託)は、柳川地域の歴史・文化を考える上で貴重な史料として公開・活用されてきましたが、この文書群の一部が「立花家文書」として国の重要文化財に指定されました。 |
一、立花家文書(9,113通) 株式会社御花所有(柳川古文書館保管)
附 文書箱 3棹
一、柳河藩立花家文書(5,511通) 福岡県所有(柳川古文書館保管)
附 柳河藩史 17冊
舊柳河藩誌 100冊 |
立花家文書は、近世を通じて柳川藩主をつとめた立花家に伝来した古文書群です。その内訳は、立花家文書(株式会社御花所有)と、柳河藩立花家文書(福岡県所有)からなり、室町時代から明治時代にかけての約14,600通の古文書を含んでいます。
立花家は、そもそもは大友貞載が筑前国糟屋郡の立花城主となり立花氏を称したことに始まるとされますが、大友氏の一族であった戸次道雪の養子・統虎(のちの宗茂)がそれを継ぎ、立花氏を称します。宗茂は、豊臣秀吉による九州国割の際にて柳河城主となりますが、関ヶ原の戦いで西軍についたために改易。しかし元和6年(1620)に柳河に再封入します。以降立花家は歴代藩主として柳河藩を統括し、明治維新・廃藩置県を迎えます。立花家文書の特長は、刀狩令や海賊禁制令を始めとす豊臣秀吉からの文書や、検地や家臣団に関する文書、有明海干拓に関する文書、大名家の日常生活を具体的に記す用人日記や奥日記、家老を始めとする家臣からの伺・届出、参勤交代や手伝普請など幕府との関係を記録した資料などが残されてことです。本来立花家に一括して伝来した古文書群であり、江戸時代における十万石の大名家文書として典型的な質量を兼備しており、近世幕藩体制を研究する上において基準となる史料と評価されています。 |
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