天正三年五月、戸次鑑連(道雪)は嫡女誾千代に立花城の家督などを譲ります。前半には立花城やそれに付随する城などに関する大友家よりの文書のほか、拝領した刀などが記されていますが、後半には「御城置物之事」として、立花城に備蓄されていた品々が書き上げられています。そこには、倉庫群が設けられ、米・塩などの食料、筵・薪・縄・松明などの必需品が蓄えられていたようです。また、城内には水瓶・大樽が置かれ、飲料水が蓄えられたのでしょう。この譲状には、豊後国の所領は見えません。すでに豊後の戸次氏の所領は、戸次鎮連が継承していたからでしょう。なお、譲状目録は誾千代が所持していたましたが、慶長五(一六〇〇)年、関ヶ原の役後、柳川を去る時焼き捨てたといわれています。 |