立花家十七代が語る立花宗茂と柳川
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上妻郡割定之事
元和七(1621)年二月六日
上妻郡割定之事 立花文書
翻刻文
関ヶ原の戦い後、筑後一国の領主となったのは、田中吉政でした。しかし、元和六年吉政の子、忠政が継嗣なきままに没したため、田中家は改易。それにともなって、翌七年に北筑後には有馬豊氏が、南筑後には立花宗茂と立花種次(三池郡の一部)が入封することが決定します。有馬氏の久留米藩との境は、上妻郡は矢部川を境にすることが決定します。展示している史料(上妻郡割定之事)のように、矢部川を越えて耕作している田畑は、従来のようにもとの村につけること、矢部川の真ん中が藩境となること、などを決めています。これ以降、矢部川は「御境川(おさかいがわ)」とよばれるようになります。

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翻刻文
(包紙)「元和七年上妻郡割定御書付
    公儀御役人中より御渡候也」

   上妻郡割定之事
一、村者大川切、田畑ハ互河を越、入組候共
 村へ如前々付申事、付大河ハ
 双方半分々々之事
一、野山ハ河切之事、山之内ニ壱年弐年
 之きりひらきハ山之内ヘ可付事
一、井水ハ前々より如有来候之事
     以上
   元和七年辛酉
     弐月六日       岡田将監(花押)
                竹中采女正(花押)
                秋元但馬守(花押)
                内藤左馬助(花押)
                松倉豊後守(花押)
    立花左近様

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