立花家十七代が語る立花宗茂と柳川
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大慈院
京都府京都市北区紫野大徳寺町4-1
大慈院大慈院

大徳寺 塔頭 大慈院

大慈院臨済宗大徳寺派の塔頭で、天正13(1585)年、大友宗麟の姉、見性院等が天叔宗眼を開祖として建立したと言われています。天保年間の地震により堂宇に被害を受けましたが、弘化4年に古材をもって再建されました。現在、本堂前庭にある紫式部碑は、寛政7(1795)年に紫野御所田町の式部の墓の傍らに建立する予定だったものが、故あって大徳寺塔頭碧玉庵に建立され、明治維新により同庵が廃寺になった時、当院に移されたものと伝えられています。また、この時、碧玉庵にあった立花宗茂の位牌や墓、肖像画も当院に引き継がれました。

大徳寺 塔頭 碧玉庵

臨済宗大徳寺派の塔頭で、開祖は雪菴宗圭。寛永の初めに大慈院の寮舎であった碧庵を改め、天瑞寺の西に壮麗な堂宇を造り、碧玉庵と号したと伝えられています。後に立花宗茂が壇越となりました。碧玉庵に伝えられていた、大慈院二世藍渓宗英撰、大仲宗_筆の賛文を持つ土佐光起筆の立花宗茂肖像は、当庵が明治維新の寺社の統廃合によって廃寺となったため、宗茂の位牌や墓と共に大慈院へと移されました。

 十七代便り - 大徳寺の塔頭のひとつである大慈院にお参りしてまいりました。

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