博多湾に臨む筑前の拠点
立花城の歴史は1334年、足利尊氏の家臣として仕えた大友貞宗の子、大友貞載が博多湾進出の拠点として同湾を臨む立花山に城を築いたことに始まります。以後貞載はこの地名である「立花」姓を名乗り権勢を振るい、立花城は「筑前の要塞」として重要拠点となります。
永禄8(1565)年、同11年に立花城主の立花鑑載が主家の大友家に謀反をおこすと、戸次道雪は臼杵鑑速、吉弘鑑理らとともに立花城を攻略し、鑑載を敗死させました。また元亀元(1570)年、道雪は再び臼杵鑑速、吉弘鑑理らとともに、今度は毛利氏の手に落ちていた立花城を攻め、城方を降伏させます。これらの功により、道雪は翌2(1571)年に大友宗麟により立花城の城督に任じられました。
その後、道雪の跡を継いだ宗茂が柳川城にうつると、立花城には小早川氏が入城し、次いで黒田氏が入城します。しかし、1601年に福岡城が築かれると、立花城は廃城となりました。立花城の石垣は福岡城の城壁に利用され、現在立花山には僅かながら城の石垣跡が点在しています。 |