大友氏は鎌倉時代から戦国時代にかけて九州の豊後国を本拠としていた一族です。立花氏はこの大友氏の一門で、豊後大友氏に対して「西大友」とも称されるほどの名門でした。しかし、永禄年間に立花鑑載が大友氏に謀反をおこして討たれ、その後大友氏の重臣であった戸次道雪が立花家の名跡を継ぎました。
大友氏の家紋は「杏葉紋」ですが、大友氏はこの紋を愛好し功績のある部下に与え、「同紋衆」として重用しました。立花家でも初めのうちはこの杏葉紋を家紋として用いていたようで、梨地杏葉紋鞍のように桃山時代から江戸時代初期にかけての道具の中には杏葉紋を用いたものが比較的多く残されています。 |